幡野広志さんの「写真集」を読んだ。
写真集だけど、「読んだ」といった方がしっくりくる。
日本の海上にある遺跡を撮影した「海上遺跡」
狩猟し解体し食す。みずからその体験し撮影した「いただきます、ごちそうさま」
息子との日常を撮影した「優しい写真」
三作品に、自身の文章を添えて構成された写真集。
幡野さんは数年前にガンがみつかり余命数年だそうだ。
病気を知ったのは息子さんが生まれて間もなくのこと。
残された時間がそうさせるのか「優しい写真」は、悲しさや愛おしさや前向きさや悔しさや、、、様々な感情をかき混ぜられる。
病を公表していることで、批判もあるようだ。
病気のことを知った上で、それ抜きで作品を見ることがボクには出来ない。出来ないが病気だから良い作品が生み出せるわけではないと思う。
いまになって考えると被写体こそ違うけど、
生きることや死ぬことの意味を無意識に追求していたのだと感じる。
氏のブログ(幡野広志のブログ)も最初から全部読ませていただいた。
確かにそんな風に思う。
「生きること」「死ぬこと」、考えだすとキリがない。
ここのところ愛娘2号は死が近づくのを怖がっている。「来年は中学だね」、と話していると「嫌だなぁ、来年になってほしくない」という。中学生になりたくないのかと思いきや、1年経てばそれだけ死ぬ日が近づくから怖いそうだ。
ふと気づくと「死ぬこと」について考えてしまうようだ。
数年前、父が癌を患い他界した。
死ぬまでの間、父は自分の家を誰に譲るかとどうやったら癌が治るかばかり考えていた。残り時間の過ごし方として、それが良かったのか分からないが、本人が選んだ過ごし方だ。
1日1日、死が近づいているのは間違いない。それがいつか知らないだけだ。
人間はいつか必ず死ぬ。
明日死んでも後悔はないか?
残された時間をどう過ごすか 。
ただ幸せを感じて過ごしたいだけだけど、それがどうして難しい。
そんなことを考えさせられた一冊です。