ラグビーW杯が盛り上がっていますねー。
過去1勝10敗のスコットランド代表を破り、日本代表が予選を1位で突破!しかも4戦全勝で。しかもしかも、対スコットランド過去1勝はスコットランドからするとテストマッチ扱いか何かで、彼らからみると10勝0敗なのだそうだ。
激しいぶつかり合いに、こちらも力が入る。テレビで見ているだけなのに、文字通り、力が入るのだ。手や足にぐぅぅーっと。
そしてプレーが途切れると、ふぅーっと緩む。ぼくらは緩んでもいいが選手たちはそうもいかない。
彼らは強敵だった。もうダメかもしれない。激しい追い上げにふと弱気になる。でも選手たちは弱気になるわけにはいかない。
一瞬でも緩んだり弱気になれば、あっという間にすべてを持って行かれてしまう。そんな戦いに見えた。
きっと誰一人、緩むことなく、弱気になることもなく、戦いきったのだろう。
試合後のインタビューで何人かが発したセリフ。
「すべてを犠牲にして、この時のために」
言い回しはそれぞれでも、同じような言葉を試合前にも聞いたことがある。
チーム全体がそういう気持ちでやってきたのだろう。この一試合ではなく、この4年間を。
すごいことだ。
全員かどうかは分からないが、おそらく全員が自らの意志で「すべてを犠牲」にして来たのかなと思うと、ますますすごいことだ。
そして、そのくらいしないと成し遂げられないことを成し遂げたのだろうなぁ。
全てを犠牲にして打ち込んできたにも関わらず、代表から落選した選手もいるだろう。
そこまでは出来ないよ、とついて行くことをやめた選手もいるだろう。
自分ひとりが、すべてを犠牲にして取り組むことは、簡単じゃないけど難しくない。自分が決めて自分がやるだけだ。
だけど、みんなでやるとなると、これは大変だ。
こういうことは押し付けても逆効果だ。同調圧力で付き合わせても限界がある。
行動で、言葉で、誰かが引っ張り、そこへ誰かが加わり、やがて互いに叱咤激励できるくらいまでいかないと難しいだろう。
そしてそこまで行くのも並大抵のことじゃないだろうな。
日本ではどうも押し付けたり同調圧力をかけたりしがちだよなぁと思う。
スポーツでも会社でも、滅私奉公をよしとする気風がけっこう残っている気がする。
ラグビー代表の「すべてを犠牲にして」は「滅私」でも「奉公」でもない。
「自分のために」「自ら」すべてを犠牲にすることで初めて成し遂げられることじゃないかなと思う。
最後に、ジェイミージョセフHC(ヘッドコーチ)がアイルランド戦の前に選手に贈ったメッセージを。
誰も勝つと思ってないし
誰も接戦になるとも思ってないし
誰も僕らがどれだけのものを犠牲にしたか分からないし
信じてるのは僕たちだけ
いいメッセージだ。
彼らのこの4年間と4勝はとても尊いものだが、「すべてを犠牲に」この言葉だけが都合よく使われないように願うな。
そして、ぼくも「すべてを犠牲に」するくらいの気持ちで何かに打ち込んでいきたいものだなぁ。