夏休みもいよいよ終わり。
我が家では愛娘1号・2号は、宿題の最後の追い込みに必死。
「最後の」と書いたが、始めるのが遅すぎ。実験の写真を撮って印刷させられるこっちとしては、もっとコツコツやっておけよと言いたい気持ちをぐっと抑えて、でもちょっと漏らして、お手伝い。
子供の頃から、一体この宿題は何のためにあるのか疑問だった。将来、何かの役に立つ気もしなかった。大人になってみて、やはり何かの役に立った気はしていない。実験なんてネットで検索すればたくさんのサイトや動画がヒットする。ますます意味が薄れているように思えてならない。
ただ、締め切りに迫られた人間の発揮する能力を知る機会としては良い機会かもしれない。そうだ。締め切りの大切さを学ぶために夏休みの宿題はあるのかもしれない。そして計画的にやっておけば良かったと泣きながら宿題をやることで、計画の大切さ、自分を律することの大切さを学ぶために宿題はあるのだ。
そう考えると、オレは何も学んでこなかったなぁ。
自分を律し、締切を意識し、計画をたてて見直し調整しながら仕事を進められるようになったのはいつ頃からだろう。30歳近くのようにも思う。
カエルの子はカエルなのだなぁ。
仕事の取り組み方を、もう一度見直してみようと思った夏の夜でした。