カメラを持って町並みを歩くとき、何かいい被写体はないか目を皿のようにして歩く。
そうやって歩くと、普段目に入っていないものに気づく。
こんなところにこんなベンチがあったのか、とか。
この汚いお店、意外と風情があるな、とか。
普段、いろいろ考えながら生きているつもりではある。
だから、その考えていることを書く、と思えばネタは尽きないはずだ。
ところが、「わざわざ書くようなことがない」という日がなんと多いことか。
考えているつもりで、何も考えていないのか、俺は?
ボォーっと生きてんじゃねぇよ!
と、言われても何も言えない。
毎日、仕事して生活して、色々なことがある。
昨日とは違う今日。
今日とは違う明日。
そんな毎日を過ごしているはずだ。
なのに。
ここで書くようなことが毎日あるわけではない。
普通はそんな刺激に溢れた日々じゃない。
毎朝同じ時間の電車に乗って、昨日の仕事の続きで日が暮れる。長い月日を費やした仕事が実を結ぶのはほんの一瞬で、少しホッとした後、また次の仕事が始まるのだ。
何かを書くためには、もっともっと見なければならないのかなと思う。
世間を賑わすゴシップにも、深く考察すべき何かがあるはず。
昨日と同じ駅までの道でも、昨日と違う何かがあるはず。
そう考えると、やはり「ボォーっと生きて」しまっているかもしれない。
カメラを手に街を歩くように、日常を歩くと違うものが見えてくるかもしれない。